統計によると女性医師の総医師数の占める割合は、昭和51年では10%弱、平成22年では20%弱になったそうです。
第一生命が発表した、恒例『大人になったらなりたいもの』ランキングでも、男子は【サッカー選手】、女子は【食べ物屋さん】が1位。注目は、25年間にわたる同調査で初のTOP3入りとなったのが「女子のお医者さん」だというのです。
そこで、ぼくを救った二人の女医さん遍歴(少し意味深ですかね?)をお話しします。
今日朝一番から R病院の眼科定期検診に行きました。と言っても約1年ぶりです。本当は3か月または半年に緑内障の進行を確認する大事な検診なのですが。
担当医は中国の女性で、今日もはっきりとした日本語で声も若々しく患者さんを呼び出されています。
3年前にR病院の同じグループであるK病院で白内障の手術をお願いしてから、こちらで勝手に眼の主治医と決めています。
強度の近視と乱視、加えて老眼のかかった眼の白内障を手術していただき、裸眼で0.6まで視力が回復しました。
もちろん乱視や老眼がなくなり、PCの画面までの距離(40cm)に合せていただいたので、なんとデスクワークや読書は眼鏡なしで出来るようになったのです。
これは六十有余年の人生においても、かなり特筆すべき感動的なことなのです。
思い起こせば、小学3年生から眼鏡をかけ始め、成長とともに視力もどんどん低下していき、18歳の時には失明するのではないかと思ったくらいで、ジェームスボンド 007(0.07)までになりました。所謂、あの「牛乳瓶の底」といわれる強度の近視+乱視レンズをかけていたのです。
その時に母が通う眼科医院へ行き、初めて女医さんに診てもらいました。診察してもらった結果、当時としてはまだ珍しいコンタクトレンズを薦められました。お蔭で進んでいた視力がピタリと止まり45年間装着してきました。
しかし、旅行などでお風呂の後、「牛乳瓶の底」のような眼鏡をかけると、私を見る目が変わるのには戸惑いました。いつも憐れむような視線、当惑した表情を見ることになるのです。
年配の人達には、「お前は眼性(めしょう)が悪い」とよく言われましたが(眼性という言葉があるのです)、計らずも二人の女医さんに救われたのです。
特にR病院のT女医は、丁寧に症状を説明していただき、時折私が話す中国語の会話にも答えていただき、楽しく?診ていただいています。
私の人生で「心に残る女性」のTOP10に、お二人とも入るのは言うまでもありません。
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